小田村伊之助の妻杉寿ってどんな人?子供や子孫も気になる!

この記事は4分で読めます

こんばんは。Masashiです。

花燃ゆの第2話で優香さんが
初めて登場しましたね。

演じるのは小田村伊之助の妻で
吉田松陰の妹でもある杉寿
(すぎひさ)です。

この杉寿と小田村伊之助の仲は
とても良かったみたいで
後に2人の子供に恵まれています。

また、小田村伊之助と杉寿の
子供や子孫についても調べました!

「華麗なる一族」って感じで
驚くと思いますよ?笑









小田村伊之助の妻「杉寿」とはどんな人?


スクリーンショット 2015-01-12 0.36.41

小田村伊之助の始めの妻である杉寿
(すぎひさ)について紹介します。


ちなみに花燃ゆ2話の動画が
YouTubeのこちらで公開されていました。


杉寿が生まれたのは1839年。
夫である小田村伊之助とは
10歳ほど年が離れてる事になります。

ちなみに伊之助に嫁いだ時は15歳でした。
(全く見えなかったとツッコミはなしでw)

さて、この杉寿は妹の文と異なり
かなり勝ち気な性格だったみたいです。

夫である小田村伊之助が囚われた時は
伊之助の状況を確かめに、妹の文と共に
夜中に彼が入れられてる牢屋にまで
押し掛けたいう逸話もあるんですよね。笑

ちなみに妹の文の性格は、どちらかと言えば
控えめな性格だったようで、彼女と
姉の杉寿の性格は正反対だと言えそうです。

こうした杉寿のことを、周りの人は
「烈婦」と呼んであれこれ噂したとか。

スクリーンショット 2015-01-12 0.36.50肖像画はこんな感じ


その後、小田村伊之助が楫取素彦と改名し
群馬県の県令に赴任した際は、夫と共に
群馬県へ移住することになります。

この時期の杉寿は浄土真宗を信仰していて
信仰心がかなり強いという事でも
同地では有名だったそうです。

そして杉寿はその信仰心のあまり
群馬県に多くの説教所の開設に加わり
県内の布教に一役買ったとか。

性格も勝ち気だけでなく、
行動力も旺盛な女性だったんでしょうね。

しかし、この頃から体調を崩す事が増え
1881年に43歳で亡くなっています。

その後、小田村伊之助の後妻となったのが
妹の杉文(すぎふみ)という事に
なっていくんですよね。





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小田村伊之助と杉寿の子供はどんな人?


スクリーンショット 2015-01-12 0.35.13

杉寿と小田村伊之助の子供についても
気になるところですよね。

この夫婦の間には長男の篤太郎(希家)
次男の久米次郎(道明)という
2人の男の子がいました。

この2人はどのような人物だったのでしょうか。

まず長男の篤太郎(小田村希家)について。

この小田村希家については
あまり情報は残ってないようです。

1つ言えるのは、この小田村希家は
父の伊之助が「楫取素彦」と改名しても
「小田村」の名字を名乗り続けた事です。

また、この小田村希家は後に
小田村有芳(おだむらつねか)という人物を
養子に迎えています。

この小田村有芳とその一族については
後ほど解説しますね。

次に紹介するのは次男の久米次郎
(楫取道明)
についてです。

スクリーンショット 2015-01-12 0.37.42下の真ん中にいるのが楫取道明


名前の通り、この久米次郎が
父親の「楫取」姓を継ぐ事になります。

実はこの久米次郎、もともとは
あの久坂玄瑞の養子でもありました。

久坂玄瑞が亡くなる直前に
養子になったと言われています。

しかし、久坂玄瑞には愛人がいて
かつその間に子供が産まれています。

久米次郎はかつて久坂を継ぐのでは?
と言われていたのですが、結果として
久坂家を継がず、実家に戻ります。

その後、久米次郎こと楫取道明は
日本語教師として台湾へ赴任します。

当時の台湾は、1895年以降
日本の統治下にありました。

そして、台湾を統治する為に
政府は日本から教師を送ります。

その1人がこの楫取道明でした。

しかし、当時の台湾では
抗日運動が勃発していました。

そして翌年、抗日ゲリラによって
楫取道明ら日本語教師が襲われる
「芝山巌事件(しざんがんじけん)」
が起こり、道明は38歳で没します。

1895年と言うと、父親である
小田村伊之助=楫取素彦はまだ存命。

次男の無念な最後に
さぞや心を痛めた事でしょうね・・・

ドラマでもこの辺りも
色々と描かれるのでしょうか。


小田村伊之助と杉寿の子孫が気になる!


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ここまででは小田村伊之助と杉寿の
2人の子供を紹介してきました。

では、この夫婦には孫などの
子孫はいたのでしょうか。

調べてみると相当いたみたいですw

まずは長男の小田村希家ですが、後に
小田村有芳(つねか)を養子に迎えた事は
先述しましたね。

この小田村有芳は当居帝国大学を卒業し
実家の磯村家が経営する磯村工業所の
専務や会長を務めた人物だそうです。

その小田村有芳(希家の養子)の家族がこちら。

・妻 治子(楫取道明の娘)
・長男 嘉穂
・長女 以登(島根県の岡本俊光の妻)
・二男 寅二郎(亜細亜大学教授)
・二女 梅子(牧一雄の妻)
・三男 泰彦
・四男 四郎(拓殖大学第16代総長)
・五男 五郎

(引用:Wikipedia


次男が「寅次郎」なのは
吉田松陰の影響なのかな?

また、小田村家は台湾に赴任した
楫取道明の影響もあって、同地への
縁が色々あったと言われています。

特に現在も生存中である
小田村四郎さんと台湾の縁は
深い事で知られています。

スクリーンショット 2015-01-12 0.38.25小田村四郎さん

この小田村四郎さんですが、
「日本李登輝友の会」という
かつての台湾総統で、親日家でもある
李登輝氏に縁がある人の団体の
会長を務めている方でもあります。

また、小田村伊之助の次男の
楫取道明の家族はこちらです。

・長男:三郎
・次男:棒太郎(久坂家へ)
・三男:四郎
・長女:刀美子
・四男:公弼
・次女:治子(小田村有芳へ嫁ぐ)
・五男:倉之丞

(参考:玉木氏・杉氏・吉田氏一族の系譜


非常にややこしいですね・・・笑

僕もこれを見てて気が遠くなりましたw

この2つの家系図で何か言うとすれば
小田村有芳(希家の養子)の妻の治子
楫取道明の次女であるという事ですね。

養子という事を考慮しなければ、
この治子さんはいとこである有芳と
結婚した事になるのでしょうか。

小田村伊之助と杉寿の2人の子供は
受け継いだ名字が「小田村」と「楫取」と
異なるのですが、繋がりは強かったと
考えてよさそうですね。


少なくとも、
小田村伊之助と杉寿の一族は
明治における「華麗なる一族」と
呼んでも過言ではない気がします。


こちらもご覧下さい!



小田村伊之助の父の松島瑞蟠はどんな人?兄の松島剛蔵も紹介!


小田村伊之助は長州藩の儒学者!吉田松陰や富岡製糸場との関係は?


小田村伊之助が楫取素彦と改名した理由は?花燃ゆの準主役!


まとめ


この記事のまとめです。


・小田村伊之助と先妻である杉寿は、年が10歳離れている。
・杉寿は勝ち気な性格で、また浄土真宗の熱烈な信徒であった。
・小田村伊之助と杉寿には、希家と道明という2人の子供がいる。
・かつて久坂家の養子だった楫取道明は、台湾で抗日運動に襲われた。
・小田村希家が養子とした有芳の妻、治子は楫取道明の次女である。


記事をお読みいただき
ありがとうございました。


しかし小田村家と楫取家の両家は
ごちゃごちゃしてわかりにくいですねw

ヒロインの文さんがこの家系図に
全く絡まないのも不思議な感があります。


では、また!

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