小田村伊之助は長州藩の儒学者!吉田松陰や富岡製糸場との関係は?

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こんにちは。Masashiです。

大河ドラマ「花燃ゆ」がいよいよ始まりましたね!

個人的には大沢たかおさん演じる長州藩の儒学者、小田村伊之助が
今後どのように活躍していくのかが気になりました。

ここでは小田村伊之助について詳しく紹介!
富岡製糸場や吉田松陰との関係について調べてみました。









小田村伊之助は長州藩の儒学者!何を教えてたの?

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ここで紹介する小田村伊之助ですが、
ドラマでも描かれてた通り、
もともとの名字は「松島」だったんですよね。

父親の松島瑞蟠が切腹したことや
もともと次男だった事もあって
小田村家に養子に入ることになります。


さて、この小田村家ですが、
長州藩の儒学者として長く続いた家として
当時の藩内では名が通っていたんですよね。

ここで気になるのは
この「儒学者」が何をしていたか
という事ではないでしょうか。


「儒学」とは、中国の孔子が開いた「儒教」を
学問として体系化したものだと考えてもらえれば大丈夫です。

スクリーンショット 2015-01-08 11.28.11儒教の創始者・孔子



そしてこの儒学を、長州藩で代々教えていたのが
小田村伊之助が養子として入った「小田村家」なんですよね。


当時の日本では、儒学を学ぶことが
武士のたしなみとなった面があり
この儒学を教える人も日本中にいました。


しかし、江戸時代の後期に入って
西洋列強が押し寄せてきた時代になると
「儒学なんて役に立たないんじゃないか」
という風潮が出てくるようになります。

小田村伊之助もそのような事は決して言わないものの、
心の中ではその事に気付いていたんでしょうね。


だから、今の時代にあった新しい学問を学ぶために
江戸で吉田松陰と勉強しに行ったのでしょう。

もっとも、この2人が知り合った場所は
長州藩内ではなく遊学先の江戸だったようですが笑


小田村伊之助と吉田松陰の関係について!松下村塾を継承した?


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ドラマでは小田村伊之助と吉田松陰の関係は
「心の友」として描かれることになりそうです。

なにせドラマの主人公である文の夫ですからね。


さて、小田村伊之助は吉田松陰の妹2人を妻に迎えた事は
これを見てる人なら既に知ってると思うのですが、
他にこの2人の関係について語るポイントはあるのでしょうか。


ここで抑えておきたいのは、
吉田松陰が牢屋に入れられた際、自分の松下村塾を託す人材として
この小田村伊之助を挙げられる事です。

小田村伊之助は儒学者という身分である以上
人に学問などを教える事が出来る人であると
松陰は思っていたのかもしれませんね。

もっとも、小田村伊之助は藩の仕事が忙しかったみたいで
松下村塾で生徒を教えてる暇はなかったみたいですが・・・


また、吉田松陰はかつて
長州藩の藩校、明倫館で兵学を教えていた事があるのですが、
小田村伊之助もこの明倫館で儒学を教えていた事も知られています。

明倫館時代に面識があったという話は残ってないみたいですが、
おそらくお互いの事についてはある程度知っていたと
考えるのが自然だと思います。





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富岡製糸場があるのは小田村伊之助のおかげ?


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そんな小田村伊之助ですが、
2014年に世界遺産となった富岡製糸場の存続に
力を尽くした事でも有名です。


小田村伊之助は明治時代になると政府の役人となり
1874年に群馬県の県令として同地へ赴任します。


ちなみにこの頃になると、小田村伊之助は既に楫取素彦と改名しています。
(この記事では小田村伊之助で通しています)


小田村伊之助と群馬県の繋がりと言えば、
富岡製糸場の存在が重要になってくるんですよね。

この富岡製糸場は1872年に設立されたのですが、
その経営は厳しく、一時は閉鎖も検討されていました。

このとき、小田村伊之助は富岡製糸場の存続を
当時の明治政府に訴え、結果として存続が決まることになります。

その後、小田村伊之助は富岡製糸場を活用する事で
群馬県の「かいこ産業」を近代日本が誇る
重要な産業とにまで引きあげたという功績があります。


つまり、小田村伊之助が群馬県の県令だったからこそ、
今の世界遺産・富岡製糸場があるんですよね。


こちらもご覧下さい!



小田村伊之助の妻杉寿ってどんな人?子供や子孫も気になる!

小田村伊之助の父の松島瑞蟠はどんな人?兄の松島剛蔵も紹介!

小田村伊之助が楫取素彦と改名した理由は?花燃ゆの準主役!


まとめ


この記事のまとめです。


・小田村伊之助は長州藩の儒学者の家に養子に入った。
・「儒学」とは、孔子の「儒教」を体系化した学問である。
・小田村伊之助は吉田松陰から松下村塾の後を託されたことがある。
・吉田松陰と小田村伊之助は、藩校・明倫館の同僚でもあった。
・小田村伊之助は富岡製糸場を存続。日本の重要産業の担い手となった。


記事をお読みいただき
ありがとうございました。


では!



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